子供に囲碁を習わせるとき、囲碁のメリットはよく聞くことだと思います。
「初心者が囲碁を始めて得する3つのこと!」でも書いたように
- 考える癖がつく
- 思考シナプス増加で考えの幅が広がる
- 子供の精神的成長を促す
などなど、囲碁が与えるメリットはとても多くあります。
今回は子供に囲碁を習わせるデメリットについて考えてみましょう。
実は【囲碁にはデメリットが多い】という議論は春秋時代(約3000年前)から行われていました。
このページでは中国のネット上に投稿された記事を翻訳してみなさんへお届けします。
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目次
囲碁のメリットはいつも普及されるけど、本当にデメリットは無いのか?
囲碁にはかなりのメリットがあるというけれど、家族の皆さんはきっと心配することがあるだろう。
囲碁を学ぶ子供は本当に1つのデメリットも無く100の利益を得ているのだろうか?
もし囲碁のデメリットを全く知らなければ
全員がそうとは限らないが、囲碁の『道』に適合することはできない。
むしろそれに反した結果になってしまうだろう。
春秋時代の著名人が示した囲碁への価値観
囲碁のデメリットについては常に議論が繰り広げられるテーマであり、春秋時代からこの議論は展開されていた。
孔子は『論語』の中で次のように述べている。
饱食终日,无所用心,难矣哉。不有博弈者乎!因之尤贤乎已
『腹いっぱい食べて一日中何をするでもなく何を考えるでもなく、ただぼんやりと過ごすなどということは、まともな人間ならそう簡単にできるものではない。世の中に博打や囲碁ってものがあるだろう?何もしないのなら囲碁でもやっていた方がまだましだ!』
という意味だ。
【参考】陽貨第十七 466
孟子は更に踏み込んだ議論を展開している。
博弈好饮酒,不顾父母之养,二不孝也
『博打や囲碁を嗜(たしな)み酒を飲み、父母を養わないことは2つ目の親不孝である』という意味だ。
これは孟子の著書『不孝有五(5つの親不孝)』の中に記載されている一文である。
彼は囲碁を5大親不孝の一つとして考えていた。
その理由は明確で、囲碁を打つことは非常に時間を食うし、仕事や学業へ支障が出る。
しかし孟子はかなりの囲碁好きだった。
『孟子』の中には記載できなかった囲碁についての物語を、同時期に出版した著書の中に記載している。
そこには『今夫弈之为数,小数也,不专心致志,则不得也』と記されていた。
これは『囲碁の技は専念して懸命に取り組まなければ決して身に付けることはできないものである』という意味だ。
時代とともに移り変わる囲碁への評価
西漢期になって、囲碁を打つ人はだんだん多くなってきた。
しかし当時まだまだ上流階級や官僚レベルの人々には受け入れられておらず
『面白みを失ったものの一つが囲碁である』と言われるほどだった。
彼らは儒家の伝統という観念から囲碁を批評した。
しかし囲碁を嗜(たしな)む人にとって囲碁はゲームであり、彼らの言うとおりに批判されるものではないと思われる。
劉安は著書の『淮南子』で次のように記載している。
行一棋,不足以见智;弹一弦,不足以见悲
『囲碁というものは、1本の弦だけを弾く楽器にさえ及ばないもので、見るに値しない』という意味だ。
つまり、囲碁は時間の無駄だという意味なのだ。
もし囲碁を打つ時間で勉強して新たな知識を身に付ければ、より多くの知見を得られるだろう。
また、三国時代の韋昭の著書『博弈論』では囲碁がもたらす危惧として『時間浪費・中毒性・背徳』が記載されている。
一方で、囲碁を正式におすすめする東漢大儒家の班固の著書『弈旨』と馬融の『围棋赋』によって、のちに囲碁への評価を覆(くつがえ)す官僚も多くなってきた。
宋の時代の高似孫は『五賦三論』をまとめた。
五賦三論とは中国古代の囲碁概念で、囲碁論に関する5人の偉人と3つの名作をまとめたものだ。
この著書では次のように紹介されている。
『偉人は5人いる。1に漢の马融、2は晋の曹掓、3は晋の蔡洪、4は梁の武帝、5は梁の宣帝だ。名作は3つある。1は漢の班固著書《弈旨》、2は魏の应玚著書《弈势》、3は梁の沈约著書《棋品序》だ。』
囲碁は現代の子供をダメにするのか?
実際に古代の人は囲碁のメリットとデメリットについて様々な論争を繰り広げている。
囲碁の魅力は大きいが、中毒性があって本業をおろそかにする可能性があると言及している。
一方で文化の面では、官僚たちや政治的地位のある人々の意見の移り変わりに影響されている。
現代では、子供が囲碁を学ぶことに対してどのようなデメリットがあるのだろうか?
たとえば『淮南子』には囲碁にハマることは学業にも悪い影響があると記載されている。
実は、このようなデメリットは現代のこどもたちには起こりえない。
現代社会に存在する娯楽
まず、現代社会には子供たちを誘惑するものが非常に多い。
スマホゲーム、テレビアニメ、おいしいものおもしろいものなど、どこに行っても囲碁よりも魅力的なものはあふれていて、これらの危険性は非常に大きい。
したがって囲碁にハマること自体、すでに起こる可能性が非常に低いのである。
仮に昔の人が寝食を忘れて囲碁に没頭する程度を100とすると、多くの子供が囲碁を始めて本当に好きになったとしてもせいぜい30程度の興味しかないだろう。
『没頭しすぎる』という言葉の定義は80くらいと考える。
だから家族は子供が囲碁にはまりすぎて学業がおろそかになることを心配する必要は全く無いのである。
親の行き過ぎた熱心な教育が子供の人生を左右する
次に、家族の欲と先生の間違った指導によって、家族が子供をプロにならせたがることについてお話しよう。
碁打ちというのはプロ棋士とアマチュア棋士に分けられる。
毎年多くのプロ棋戦が開催されると同時にアマチュア棋戦でも賞金のある大会は見受けられる。
さらに一般家庭の人から見るとプロ棋士になることは、とにかく世間から外れた道に映るのである。
普通に大学に進学してもいいし、囲碁の先生になっても良い。
アマチュアの試合に参加すると参加費を払うことも賞金を手にすることもあり、本当に良い選択だといえる。
年が若くてもそれは同じで、上海で子供に囲碁を習わせている家族は次のような考え方をしていた。
『子供には囲碁を習わせよう。将来もし良い仕事が見つからなくても、囲碁の先生になればよい。所得は外国のケチな企業に比べてまともだ』
しかし、これは外から見た光景であることにすぎず、プロ棋士になるという道は楽ではない。
重要なのは、プロを目指すというのはある種の賭博ということなのだ。
子供に一生をかけさせて、成功する確率は先ほど述べたとおり宝くじに劣らないほど低確率である。
難易度的にもプロ試験に合格するのは『ひとにぎり』の厳しい道である。
血のにじむような努力を家族にも、子供にはもっと苦しい思いをさせることになる。
子供たちは自分たちでもっと良い選択をすることもできるだろう。
囲碁が子供を賢くする
最後に、囲碁の高段者はみな優秀で、完璧を求める人物であることについてお話しよう。
家族はよく、『囲碁の強い子供たちはぼーっとしていて、何かにあっけに取られているのだろうか?』と疑問に思うかもしれない。
実際に、囲碁の強い子達はボーっとしているわけではなく、なにかに考えを集中させているのである。
囲碁の強い子達は、みなこの共通点を持っている。
何に対してもハッキリと考えてから行動し、だから何を行うにも慎重で成算が取れる。
しかし同時に嫌な気持ちが表情に表れたり、口下手な感じだったりする。
対局では広い部分から細かい部分まで一手一手完璧を追い求め、たとえ最後は勝利していても細かい部分の処理にも完璧を追い求める。
時間はかかるが、碁盤の上の習慣は生活の中にも影響を及ぼし、どんなことに対しても完璧を求める姿勢が見受けられるのだ。
しかし家族も完全に心配無用なわけではない。
これは危険なことではないが、一般の子供たちがこのような境地に達するのは難しいことである。
通常はアマチュア五段にもなれば子供たちは時間を使って考えるようになる。
たとえ没頭して勉強しても4~8年かかるだろう。
子供の性格は人それぞれの個性によって形成される。
家庭環境や生まれ持った性格、囲碁を学ぶことなどはがただの要素の一つにすぎないのである。
学習過程で得たものと、このような要素は全て受け入れられる。
もし家族がまだ心配であれば、子供をアマチュア五段まで頑張らせた後に学業に専念させてみるとよいだろう。
おわりに
囲碁普及は今も多くの議論を巻き起こすテーマですが、今から3000年前の春秋時代にも同じような議論があったのですね。
趣味としての囲碁。
本業としての囲碁。
囲碁の在り方は人それぞれですが、囲碁ファンが囲碁の良さを普及しようとする姿は3000年間変わっていないように感じました。
一方で孔子や孟子の言うように、囲碁は時間を食うという致命的な欠点があります。
囲碁に時間を割きすぎて本業や親孝行を疎かにすれば、囲碁の評価はどんどん下がってしまうでしょう。
囲碁のメリットを伝えるには、囲碁を打つ人が実践してその魅力を示す姿勢が大切なようです。
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