今回のテーマは日中囲碁界の架け橋です。
主人公は、聶衛平さんと孔令文さん。
日中囲碁界をつなぐキーパーソンです。
中国囲碁界伝説の棋士、聶衛平さん息子として生まれた孔令文さん。
母は中国囲碁界トップの女流棋士という、最高の環境で育ったように思われましたが
そこには人知れぬ苦労がありました。
日本と中国をつなぐ囲碁界の両スターは
これからどのように日中囲碁界を盛り上げてくれるのでしょうか?
それでは、本文をご覧ください。
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目次
日中囲碁界の架け橋!聶衛平、孔令文親子に迫る!
元の記事→聂卫平与儿子孔令文5月合照!他因愧疚为儿子付出,却得不到谅解
著者:学姐看体育
写真提供:学姐看体育
2018.5.9
中国囲碁界で『棋聖』聶衛平(じょう えいへい)を知らない人はいないだろう。
彼が囲碁界で打ち立てた数々の伝説は人々を感服させている。
僕から見れば、聶衛平の人生は多姿多彩に思える。
現在66歳の彼は、三度結婚して3人目の妻は彼より23歳も年下である。
聶衛平の最初の妻は孔祥明で、3歳年下。彼女は囲碁のプロ棋士でもある。
彼女はかつて数々の優勝を成し遂げたが、結婚後引退の道を選んだ。
もともと囲碁を打つためだった両手を駆使してスープを作り、洗濯物をし、聶衛平が手を煩わせないようた家事の様々なことを行なった。
しかし名の売れた聶衛平は次第に我を見失い、心変わりして妻を嫌い始めた。最後には聶衛平自身からこの結婚生活に終わりを告げた。
孔令文、日本で囲碁のプロ棋士を目指す
聶衛平と孔祥明の最初の子供は、聶云骢と名付けられた。
1981年生まれ、聶衛平の最初の子供である。
両親が離婚した後、孔祥明は子供を連れて日本へ行き、子供の名前を孔令文と改めた。
孔祥明は子供とともに日本で10年暮らし、46歳の時に20歳の子供を日本棋院へ残し、日本を離れて中国へ帰国した。
孔令文の師は、彼の岳父(がくふ)である小林覚九段だ。
2003年、22歳の孔令文は小林覚の娘、小林清芽(さやか)と結婚した。
翌年、息子の孔徳志が生まれた。
興味深いことに孔令文の息子と、聶衛平の3人目の妻の娘は数ヶ月の差で生まれ、共に現在14歳である。
聶衛平は孔令文に対して責任も義務も全うしなかった。
孔令文はむかしは父を恨んでおり、孔令文が結婚した時に聶衛平が人に頼んで高額の『レッドポケット』(ご祝儀)を送ったのだが、孔令文は受け取りを拒否した。
レッドポケット(紅包)はお祝い事の時に送られるお金。現在は電子マネーでよくやり取りされている。中国人は数字が好きなので日付にちなんだ数字の金額を送るのが普通だが、友達同士で送る気軽なものは100円程度である。もともとは赤い封筒に入れて渡していたためこの名前が付き、電子マネーが普及した現在も受け継がれている。
孔令文と聶衛平の和解
しかし、時間が経つにつれて孔令文の心境は変化し始めた。
恨みの気持ちが以前より薄まったのだ。
2006年、孔令文一家が中国に来た時、聶衛平は自ら空港へ迎えに行った。
聶衛平は孫たちをとても可愛がり、孔令文に会うとすぐレッドポケットを渡した。今度は、孔令文は受け取った。
この後も何度も会っていくうちに、父と息子の関係はかなり打ち解けた。
もしかしたら孔令文に対して恥ずかしさがあったかもしれないが、聶衛平は息子を溺愛し、心から望んで彼のためにたくさん投資した。(下の写真からも親子の表情が見て取れるだろう)
囲碁のイベントに参加した時も、息子がその会場にいるだけで奮起することができ、一心不乱に息子の言う一言一言に耳を傾けた。
聶衛平は、ともすればすぐに寝てしまうか、他の人に面倒を見てもらっていた。しかし息子と一緒にいるときはいつも息子のために気を利かせ、世話をした。
父親が良くしてくれることは、孔令文は自然と理解できた。
孔令文はそのとき日本にいて、母親が生活のために毎日キツイ仕事をして駆けずり回っていたのを目の当たりにしていた。彼の心の中では母親が最も偉大な人だったので、父親との関係が打ち解けても本当に父親を許すことはできなかった。
彼は取材を受けた時に
『僕と聶衛平は囲碁でたくさん交流しました。彼は囲碁の面では尊敬するに値しますが、他の点についてはコメントを差し控えます。』
と答えた。
聶衛平はかつて孫の名字をを聶に変えないかと尋ねたのだが、孔令文は断固として拒否した。
現在、孔令文の母親は四川省の成都に住んでおり、すでに再婚した。
対して孔令文は日本と中国を行き来している。
彼は中国で囲碁学校を立ちあげ、すでに多くの分校を持つほど発展させた。
彼の妻はたいてい日本にいるが、時間があれば彼について中国へ来る。息子は14歳、囲碁を習っている。
孔令文が囲碁学校を立ち上げるに当たって、父親の協力を得た。
結局のところ、聶衛平は囲碁界での影響力が非常に強いのだ。
このほかにも、父と息子はよく一緒に囲碁のイベントに参加する。
最近一緒に参加した囲碁イベントは5月3日で、聶衛平と孔令文は共に大盤解説を担当した。
聶衛平は良い父親ではないかもしれないし、孔令文の成長を見届けなかった。
それでも、少なくとも現在は孔令文に対して心の底から好意を持っていることに対しては賞賛するに値する。
時間が経って、父と息子が本当に理解し合える日が来ることを切に願っている。
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おわりに
いかがでしたか?
この本文では孔令文さんは聶衛平さんのことを本当に許していないと書かれていました。
もちろん、聶衛平さんは孔令文さんに憎まれても文句は言えないでしょう。
実は、少し前に孔令文先生と中国へご一緒させていただいたことがあります。
棋院に置かれた聶衛平さんのサインを指さして
『これは僕の父なんだよ。』
と、自慢げに話してくれたその顔が今でも忘れられません。
僕はこの文章を読んで、初めてその言葉の重みを知りました。
孔令文さんがそう言えるようになるまで何年かかったんだろうと、ひとり考えてしまいました。
日中囲碁界を背負うこの親子の物語はまだまだ続くでしょう。
そして、日中囲碁界へ素晴らしい未来を届けてくれると信じています。
聶衛平さん、孔令文さんのプロフィール
聶衛平九段
名前 | 聶衛平(じょ えいへい/ニエ・ウェイピン) |
---|---|
生年月日 | 1952年8月17日 |
所属 | 中国棋院 |
肩書き | 中国囲棋協会副主席、中国棋院技術顧問。 |
弟子 | 古力、柯潔、檀嘯、於之瑩、范廷鈺など |
孔令文七段
名前 | 孔令文(こう れいぶん/コン リンウェン) |
---|---|
生年月日 | 1981年9月24日 |
所属 | 日本棋院 |
肩書き | 日本棋院日中交流特命騎士 |
実績 | 野狐囲碁顧問(古力九段も顧問) |
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