2018年、中国囲碁甲級リーグは20周年を迎えました。
中国囲碁甲級リーグとは、各地方の代表チームによる団体戦のリーグ戦です。
日本のサッカーJリーグのようなものです。
その20年のすべての歴史を、唯一経験した棋士がいました。
元世界チャンピオン、古力九段です。
今回の記事では、彼が囲碁甲級リーグの成長を分析してくれました。
20年前、古力少年が世界チャンピオンへ成長するきっかけとなった囲碁甲級リーグ。
そこにはどんな物語があったのでしょうか?
それでは、お楽しみください。
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目次
囲碁甲級リーグ唯一の20年現役棋士、古力『多くの人を育てた』
新華社記者:王浩宇、夏亮
元の記事→唯一亲历围甲20年的现役棋手 古力:养活了很多人
2018:3:29
清華大学へ学問を習いに行くとき、古力は好きな歴史を選んだ。
1人の学生として、彼はただの歴史の傍観者である。
しかし1人の棋士として彼はかつて中国の歴史上第一位の証人であるのだ。
囲碁甲級リーグ20年を全て現役で経験した歴史上唯一の棋士
中国甲級リーグは1999年に始まった。
最初にリーグ戦が決まったニュースを聞いた時、16歳の古力が最も楽しみにしていたのは、いつも家に帰ることだった。
『僕は重慶の人間です。前までは毎年1、2回しか帰省しませんでした。リーグ戦がある時はいつも家に帰れるので、これは良いことでしたね。』
古力は言った。
『2つ目の感想としては、囲碁が職業化の第一歩を遂げたなと思いました。
当時はリーグ戦の概念はサッカーのリーグ戦でした。囲碁の団体戦は一年でたった11個しかなく、リーグ戦も18だけです。
より多くの対局の機会を持つことは、僕たちが成長する大きな助けとなります。』
試合が増えるのと同時に
古力のような若手は名前を売る機会が増えたのだ。
囲碁甲級リーグの前身は、全国男子囲碁団体戦だった。
試合の組み合わせはランクや段位による序列に基づいて決定されるので、低段の若手は超有名人との対局で名前を挙げることが難しかった。
囲碁甲級リーグはこの呪縛を打ち破ったのだ。
囲碁甲級リーグでの大ブレイク
囲碁甲級リーグの第1期、16歳の古力四段は第4戦に出場した。
古力が属する重慶代表チームは『七小龍(7大強豪チーム)』の一角だ。
対する上海の名将、邵煒剛(しょう いごう)九段は当時の囲碁界では、この対局に負ける事などないと言われるほどだった。
当時のこの対局について百戦錬磨の古力9段は、口元の緩みが隠すことのできない傲慢さをもたらしたと言う。
『邵煒剛九段は、僕がこれまで三連敗していた相手でした。本来なら監督は僕を交代させる準備をしていたのですが最後はやはり僕を信頼して任せてくれました。
結果、僕は第四試合でこれまで一度も勝ったことのなかった邵先生に勝ったのです。
上海チームは当時、絶対王者であり、邵先生は国内でも有数の腕前でした。
だから僕の自信は徐々に高まり、最終的に僕のリーグ戦での成績は10勝8敗でした。まぁまぁ良い結果です。』
【甲級リーグがプロを救う】棋士の成長には生活の安定が重要
重慶チームは最終的に、囲碁甲級リーグ第1期でギリギリの勝利を積み重ねて上海チームから優勝を奪い取った。
優勝賞金を手に、古力は人生で初めての携帯電話を買った。
当時のことを、古力はこのように言っている。
『当時、エリクソンにガラケーがありました。アンディラウさんが広告を出していて、あの時優勝賞金で一台購入しました。16歳で携帯電話を手にした気持ちは特別で、同世代の人よりも上にいるような、優越感がありましたね(笑)
囲碁の試合は賞金があって、優勝したら生活をよくすることができます。
囲碁甲級リーグがあれば、なかなか優勝することはできなくても成績が良かった人なら、彼らの収入は安定するし、
これは囲碁甲級リーグをこれから根強く発展させる原因になり得ります。
囲碁甲級リーグは多くの人を育て、希望を生み出しました。
囲碁を学ぶことの希望、プロを目指すことの希望にも効果的です。』
囲碁棋士に足りなかったのは切磋琢磨の舞台
重慶チームの甲級リーグ五連覇に伴って(1999-2003)古力はリーグ戦での『常勝将軍』へと成長した。
2003年は19勝2敗、2004年は20勝4敗である。勝率90%超えは、今まで古力と常昊しか達成していない。
囲碁甲級リーグでの鍛錬を経て、
この2人は人々の期待通り中国囲碁界を頂点へ復帰させた。
常昊は2005年に応氏杯で優勝し、5年ぶりに中国に優勝をもたらした。
古力は、2006年LG杯で優勝し、棋士として世界最高峰へと登りつめた。
それから月日が流れ、陳耀華、周睿羊、唐韋星、芈昱廷、柯潔など、若い精鋭たちはまず甲級リーグで頭角を現し、最後は世界チャンピオンにまで登りつめたのである。
囲碁甲級リーグが若手を育てる2つの要因
囲碁甲級リーグはなぜ若い優秀な棋士を輩出し続けることができるのだろうか。
世界戦8度の優勝を誇る(中国国内最多)の古は以下2つの理由があると考える。
1つ目は自信を得ること、2つ目は金銭的利益を得ることだ。
古力九段は次のように述べている。
『僕は以前、後輩と打つときに力の差を感じました。
しかし彼も囲碁甲級リーグで切磋琢磨し、勝ったり負けたり、そして次第に自身を募らせていきました。
僕は、棋士が『相手を怖がらない』という時はたやすく力を発揮できると思います。
もしあなたが相手を恐れるならば、相手の打つ手が全て正しいように見え、勝つのは容易ではなくなります。』
『囲碁甲級リーグはここ数年で変わってきています。
たとえば国外からの支援や、メンバーの強化、ドラフト制度などなど。
今年は新たな女性棋士も加入しましたね。
僕個人の意見ですが、2005年に設立した、主将制度が重要だった思います。
この制度は僕の印象では
当時のハイレベルの棋士の対局を強く印象付けるために
そして中国囲碁界の世界戦での成績が悪かったために、
より高いレベルでの棋士同士の切磋琢磨を期待して
中国選手を強くさせようとしたのです。
主将制度が設立して数年と経たずに、中国棋士の成績が向上してのを覚えています。
僕はこの影響が大きかったのだと思います。』
囲碁甲級リーグの変化
20期の間に囲碁甲級リーグはめまぐるしい変化を遂げた。
古力もその中でリーグ戦に参加して、時代の流れを感じていた。
前回の試合の時、古力は監督と選手の二役を担うことになった。
2018年のリーグ戦は、重慶チーム19年の監督を務めた楊一卸の指揮に従って、古力がチームの中の監督責任を担うこととなった。
35歳の古力について、刀を納めて平安の時代を過ごせというのだろうか?
『醉裏挑燈看劍,夢回吹角連營。』
(参考→辛棄疾詞 破陣子 詩詞世界 碇豊長の詩詞:漢詩 – Biglobe)
囲碁甲級リーグの開会式にて、古力は棋士代表として、南宋時代の著名な詩人、辛弃疾の『破陳子』を引用して答えを出した。
そして、自分たち80后(1980年代生まれ)の棋士の心の声を発した。
『自分たちはまだ現役だ!』
『辛弃疾はあのとき、定年退職を申し出たのだが、国の前には成す術なかった。
しかし、彼は心は折れずに戦おうと思った。
僕はこの2つの句を用いて自分の気持ちを表しました。
その意味とは、僕は今成績が悪くて世界戦でチャンスが無くとも、それでも本当は柯潔たちと肩を並べて世界戦で戦いたいという意味です。
僕は囲碁甲級リーグの成長をこの目で見た証人です。
自分や、80年代生まれの棋士たちの時代に幕が下りないこと、
さらに奮発できることを期待しています。
囲碁を打つことは最も楽しいことです。
棋士として、勝ちを求めるのは本能です。今の成績は悪く、みなさんはこのベテラン棋士はもうダメだと思われるかもしれませんが
僕の内心はまだ屈していません。』
囲碁甲級リーグに挑み続ける
20年前、青春真っ盛りの古力が囲碁甲級リーグで大空へ雄たけびを上げた。
今となっては髭が生え、白髪混じりの髪になってきたが、心の中の灯火はまだ失われていない。
学業取り組むため、古力はこの二年間常に試合と学校を駆け回っている。
ある時は対局を打ち終えるとすぐ学校に戻り、心の活力が失われるのも無理はない。
でも彼を落ち着かせてくれるのは、もう少し頑張れば来年卒業できるということである。
『学業が一区切りついたら、また囲碁に集中できます。きっとこれは僕の助けになります。僕が卒業して戻ってくるのを待っていてください!』(完)
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おわりに
いかがでしたか?
中国囲碁甲級リーグは、世界最高峰のリーグ戦です。
日本からも若手棋士が参加していますね。
古力さんの言うように、囲碁甲級リーグは若手棋士を育てる最高の舞台かもしれません。
これほどのハイレベルな試合はなかなか経験できるものではないし、そこで得られた経験や自信は選手を大きく成長させます。
中国の国家チームには、『养狼计划』という言葉があります。
これは、オオカミを育てるという意味です。
世界のトップを自分たちだけで独占するのではなく、国外に強力なライバルを生み出すことでお互いを切磋琢磨させ、成長していこうという言葉です。
これからも囲碁甲級リーグは多くの若手棋士を育てるのでしょう。
日本の棋士もその成功者の一人になってほしいですね。
囲碁甲級リーグとは
設立 | 1999年 |
---|---|
試合方式 | 団体戦 |
チーム | 10チーム以上(毎年異なる) |
試合会場 | 各地域代表のホーム、アウェイで計2戦 |
参加条件 | 外国籍棋士も参加可能。日本韓国台湾からの参加棋士もいる |
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