今日の主人公は台湾女子囲碁界の新星、俞俐均(ユ リジュン)さんです!
第2の黒嘉嘉と言われる俞俐均さんですが、彼女は台湾史上初となる異例の行動に出ました。
若干18歳、成長著しい彼女はどのような囲碁人生を送ってきたのでしょうか?
それではお楽しみください。
(注)2017年の記事のため本文中の年齢が17歳となっています。
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目次
俞俐均17歳。強くなって帰ってきた
元の文章:17岁俞俐均韩国培训归来 称感受到实力差距
掲載:职人编辑部
文:赵浩宏
写真:海峰棋院提供
2017.8.25
約束のカフェへ入ると、韓国の国家チームで訓練を受けて帰ってきた俞俐均(ユ リジュン)との初対面であった。
ネットで大会の写真などを見てきたが、少なからず成長したように見える。
まだまだ17歳の女の子のあどけなさを感じさせるものの
彼女の発する言葉からは自信に満ち溢れた意気込みが感じられた。
先日、俞俐均は帰国後はじめての大きな大会で4連勝を成し遂げ、2017年世界女子围棋最強戦勝者の部で優勝した。
並々ならぬ実力で多くの先輩棋士の度肝を抜いた彼女だが、今年でまだ17歳である。
俞俐均の幼少期は囲碁漬けだった
俞俐均が4歳の時、両親は彼女の学習能力を鍛えるため子供囲碁教室に通わせた。
幼稚園に半年ほど通って、家族は俞俐均が囲碁の才能があると気づき
俞俐均を幼稚園に通わせず、家で独学で囲碁を学ばせることにした。
そのため小学校に入る前、俞俐均はすでに初段の実力をつけていた。
さらに母親はその時彼女を4つの大会へ連れて行った。
小学生になると、母親は俞俐均のために学校に対してある特別な注文をした。
学校に費やす時間が多いので宿題を調整してもらい、俞俐均は放課後囲碁に時間を費やすことができた。
俞俐均の母親は次のように述べている。
『僕はあの時どのプロ棋士のことも知りませんでした。
ただ思っていたことは、この子はお姉ちゃんと同じようにさまざまな芸術を学びに行ったところで、本当にそれを大好きになることはなかったんです。
だから僕は先生とお話しして、俞俐均に宿題を家に持ち帰らなくて良いようにしてもらいました。
もし漢字の練習で2行書かなければ行けなくても、あの子は1行で許してもらえました。
その代わり、放課後は囲碁を習いに行かせました。』
母親は俞俐均について一芸に秀でたものを育てるという教育理念を貫いた。
これは後々、俞俐均の成長に大きな影響を与えることになる。
このときから、俞俐均のプロ棋士への道は築き上げられていたのである。
囲碁の起源は古代中国で、西暦6年ごろだとされる。これは世界最古のボードゲームの1つで、段位という概念はかなり昔から存在していた。現在よく見る段位の分け方は三国時代に由来するといわれ、魏人の邯郸淳(132年-?)著作の《艺经•棋品》の中で示した囲碁の九品制である。いわゆる『棋道九品』は、のちにゆっくりと日本や韓国は影響を与えていった。また、現在主流の『囲碁段位制』は日本が発祥の地で本因坊4世道策が作ったものに起因している。世界各国は『囲碁段位制』の制定について台湾でも、アマチュア段位にはアラビア数字での表示を用いておりプロの段位には中国語の数字を用いて表す。
【関連記事】囲碁の発祥起源は4000年前の中国!歴史から見る日本の未来は?
小学4年生の俞俐均、院生の訓練を受ける
毎年毎年追い込まれて囲碁を打っていたが、俞俐均はそれが自分の好きなことだったので、自分の子供時代は楽しかったと思っている。
また、土日は両親が彼女を休ませるために遊びに出かけた。
だから子供の時は囲碁を打つことは生活の一部で、プレッシャーもなかった。
小学四年生になって、俞俐均は棋院の院生になった。
より辛い鍛錬へと踏み入り、月曜から金曜まで囲碁を打って棋力向上に努めるほか、週末には棋院で院生手合があり、休む暇もない。
しかしこの時間を過ごしたことで俞俐均は自分の目標についてより鮮明に『プロ棋士』になることだと自覚した。
棋院では、全ての院生は棋力に合わせてABCDの4つのクラスに分けられる。
新入りの院生はDクラスから始めなければならず、毎日対局して昇格を目指す。
Aクラスの上位12人はプロの試合に出場する機会があり、俞俐均もこの階段を登ることでますます強くなっていった。
小学校を卒業した後、俞俐均は台湾市立大安中学校の囲碁専科に入学した。
これまでずっと自分と張り合える相手と切磋琢磨してきた彼女は学校生活でようやく出会えた囲碁が分かる同級生とこの道を競った。
それはまるでスポーツ選手のようだった。
授業など彼女にはとうに重要でなく大部分の時間は囲碁と過ごした。
特に中学2年になってAクラスに上がった俞俐均はプロ棋士まであとわずかのところまで来ていた。
台湾最年少女性棋士の俞俐均
『僕の特徴は勝ちっ気の強い女の子だってことです。
院生になった後は、どの一局にも力を入れて、相手を打ち負かそうと思っていました。』
当然、将来の進路についての一定のプレッシャーは彼女にかかっていた。
中学2年の後期、一年前のプロ試験に失敗していた彼女は学校の勉強はとっくにやめていたし、早くプロ棋士にならなければどうしようもないと心配し始めていた。
中学2年から3年になる夏休みの時(台湾の新学期は9月からのため)、俞俐均はAクラスを突破してプロ棋士になった。
当時彼女はまだ13歳で、台湾の最年少プロ棋士の記録を打ち立てた。
またその時期から海峰棋院へ入っており、『紅面棋王』の名を持つ周俊勲の1人目の女子弟子となった。
この過程で俞俐均は自分の進歩を見つけ、プロの領域へと踏み込むことになったのだ。
『僕が強くなったのは明らかでした。
昔の棋譜を見てどこで打ち間違えたのかを見つけるのが早くなっていたというのは棋力が上がっていたからでしょう。
或いは対局中の判断力や計算力がより敏感に感じられるようになったのでしょう。
また徐々に棋譜の限界を超えて、自分で判断したり、相手の次の一手を予測したりできるようになりました。』
プロ棋士になることは、個人の実力を表す以外に国家や棋院へ行ってより多くのプロの試合に出ることを表すものでもある。プロ棋士は皆、最終審査を経験し、毎年院生は一年の対局が終わると上位12名の選手が選ばれてその12人で最終決戦を行う。男子の上位2人、および総合7位以上に入れた女子がプロ棋士になれる。つまり、プロ棋士になるのは毎年の院生で最も強い人たちだ。
韓国囲碁国家チームで鍛えられた一年
高校生になって、俞俐均は東方高級工商職業學校のスポーツ科に入学した。
彼女はすでにプロ棋士になったため、生活スタイルを作って目指す目標は、最強のプロ棋士になることへ変化した。
しかし国家代表になったあと俞俐均は国際試合でさらなる強豪たちと腕を競うようになりそして台湾の囲碁制度から目に見える実力差を感じた。
初めての台湾代表として高校2年の時に広州と日本へ向かい、スポーツアコードワールドマインドゲームズの中で最も印象的だったのは、韓国の一流棋士、崔精に出会ったことだった。
俞俐均は崔精に中押し負けし、大きな実力差を感じた。
当時を思い返して、彼女は自分の心が初めから終わりまでずっと緊張していたという。
その時初めて台湾を出て、本当の強豪と自分との距離を見たのだ。
『僕はその時、心の中でこれが実力差というものなんだと思いました。』
しかしその大会で俞俐均にとって幸運だったのは、『世界一のアタッカー』と称される韓国国家チームの劉昌赫先生が彼女を見つけて指導碁をした後、俞俐均に韓国国家チームの一員として一年間訓練しないかと誘ったのだ。
このため俞俐均は高校三年の時、韓国へ向かい、現地の企業のサポートを受けて台湾で唯一の韓国国家チームで訓練する棋士となった。
台湾とは違って、韓国では囲碁に対して十分な理解がある。
専門のテレビチャンネルがあるだけでなく、棋士数も台湾より多い。
対局でも、韓国の棋士は台湾の棋士より勝負にこだわる。
俞俐均はこのような韓国棋士の特徴を感じた。
俞俐均はここで1年間、韓国現地の最強棋士たちと対局し、様々な強豪と交流した。
現地の囲碁団体戦に参加した時でさえ韓国の棋士たちへ熱意と尊敬を示すファンの姿を見たのだ。
『彼らはどの一局にも命をかけて勝ちに来ます。勝敗にこだわる心がとても強いです。
しかし、対局が終わると人柄よく検討して自分のミスを探ります。』
この一年、俞俐均さらなる成長を遂げた。
しかし今回は棋力だけでなく、心の成長も遂げたのだ。
俞俐均曰く、小さい頃から大きくなるまで、いつもお母さんが近くにいてくれたそうだ。
この一年は独りで家を離れて韓国棋院の宿を借りて独立した。
この一年を除いて自分で処理しなければならなかったことは数えるほどで、例えばプレッシャーにどう向かい合うかくらいだったという。
さらに大事なのは、韓国の国家チームから彼らの勝負に対する心構えや様々なことへの姿勢を学び取ったことだ。
『囲碁は僕にとって、人生の中で最も大切なことです。』
俞俐均が描く未来
この夏帰国して、高校卒業を控える俞俐均はすぐに台湾の新しい舞台で2017年の世界女子最強戦へ出場した。
さらに唯一4連勝して勝者の部で優勝し、その勢いは止まることを知らない。
しかし経験豊富な先輩と対面すると、彼女は謙遜して自分はまだまだ学ぶところが多いという。
試合の勝ち負けは言いにくいところがあるが成長した彼女は優しく穏やかに僕たちに教えてくれた。
誰と対局しても、どの一局でも相手を打ち負かすことを考え尽くすんだ。
彼女はまだ17歳の可愛い女の子だが、すでに人並みを凌ぐ実力を持つ女流棋士である。
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おわりに
いかがでしたか?
かわいらしい彼女からは想像もできない熱意を感じました。
単身韓国へわたり、一年も修行した経験は今後の彼女を大きく助けるでしょう。
実は、2016年の記事にも俞俐均さんの紹介がありました。
その中で彼女は次のような発言をしています。
『僕は試合で負けたあとよく、お母さんに怒られる夢を見ました。僕は毎日家族と電話していて、この時が1番楽しい時間でした。でも僕はよくこういう夢を見たんです。』
『僕はまだまだ韓国にいたいです。僕はまじめに囲碁を勉強して、試合に出られる日を待っています。もし僕が韓国の女子リーグ戦に出たら、きっと良い成績を残します。』
韓国留学は楽しいというコメントもある中、このような発言が出るということは精神的な疲れも大きかったのでしょう。
若干18歳の俞俐均。
彼女の物語は、今始まったばかりです。
俞俐均のプロフィール
名前 | 俞俐均(ユ リジュン/ユ リキン) |
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生年月日 | 1999年4月29日 |
出身 | 台湾台北市 |
主な実績 | 2018年台湾女子最強戦 優勝 |
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